5/13  ヨーグルトを「おさなご幼稚園」の子どもたちへ

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大槌町の「おさなご幼稚園」へ。
こちらの幼稚園は津波で1階部分が浸水。
先生方が力を合わせて泥出しをして再開した幼稚園です。
ご近所では今も泥出しを行っている家がたくさんあります。
本日の午前のおやつは、一昨日お届けしたヨーグルト。
いただきますの前に「ヨーグルトを、ありがとうございました〜」
先生と子どもたちが元気な声でお礼のあいさつをしてくれました。
ある子は真剣に、ある子はおどけながら、それは美味しそうにパクパク食べてくれます。
やっぱりみんなヨーグルトは大好きなんですね。
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大槌町のスーパーはすべて、流されたり開店できない状態になってしまいました。
ここからいちばん近いスーパーは、車で30分の釜石か宮古の町。
しかし、ガソリンが流通し何とか買い物ができる状態だとしても
復旧や事務作業におおわらわの先生方にはとても難しく、しかも厳しい予算ぐりです。
なかなか希望のおやつを選ぶこともできません。避難所の支給物資にもありません。
震災後、そうして口にする機会が減ってしまったヨーグルトは
体にもいい特別にうれしいおやつなのです。
今日は以前購入してお届けした、スプーンやお皿も使ってくれていました。
皆さんから頂いた支援金の一部は、こうして子どもたちへ
ヨーグルトや食器など、必要物資を購入するために使用させて頂いています。
ご協力をありがとうございました。
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こうして元気のいい姿を見せてくれる子どもたちですが
被災してご家族を失った子どももいます。おとうさんを亡くしたあるお子さんは、男性を見るとうれしそうにはしゃぐような、構ってほしいというようなそぶりをします。
赤ちゃん返りを見せるお子さんも少なくないそうです。
門の外へ一歩足を踏み出せば、1階部分が海水で押し流された家々。被災した町の景色が広がっているのです。毎日毎日、この景色を見る彼らの胸に、どういった影響が残っていくのでしょうか。
説明のつかない悲しみや恐怖、周囲の大人たちから伝わる緊張など
子どもたちがそれぞれ心に抱えているものは、はかり知れません。

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5/12 浸水・泥出しした家

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ボランティアの手によって泥出しがされた後の大槌町の民家。
家の住民の手によって、畳をはがし、こうして軒下も掘って、
通気をしながら石灰まき。コツコツと片付けが続けられていました。
「これからね、どうなるんでしょうね。よくわからないけれど……ひとまずこんな状態なんです」と住民のお母さん。お母さんは避難所暮らしをしながら、日中は家の片付け作業を続けられていました。

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5/12 整体師・鳥屋さん到着

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佐賀県に住む整体師の友人・鳥屋さんが到着しました。
マイカーに物資や道具を満載、さらに後にトレーラーを引っ張って登場。
しかもTシャツ短パン姿です。すごいパワフル!!
じつはこのトレーラーに積んでいるもの、シャワー室なんです。大工さんや電気屋さんに協力して作ってもらったのだそうで、その脇に整体のためのテントや道具をたくさん積んで走ってやってきたのだそうです。
そして岩手県でどうしても活動したい、どこか必要としている避難所はないか、水先案内をしてほしいということで連絡をくれました。
シャワー室を避難所で喜んで頂けて、マッサージができるところ、それには水道と排水ができて、ある程度の敷地の広さも必要です。
そこで、すべての条件を満たすこちらの安渡小学校をご紹介したところ、
快く歓迎して頂き、テント作りも手伝ってくれました。
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こうしてボランティアをしたいと望む人々と、
彼らを必要としている避難所を繋いでいきます。
そんなわけで明日から鳥屋さん、こちらでマッサージ開始です。
強面ですが、とても優しくておもしろい整体師さんです。よろしくお願いします!!

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5/12 艦砲射撃と震災を体験して。

ある幼稚園の園長先生がそっとお話を始めました。
それは昭和20年、若かりし園長先生の、ある日のこと……
「きれいな夕焼けだな」飛行機が戦隊を組んで飛んでいく。
その景色が美しくて思わず見とれていると、「なに敵の飛行機見てるんだ!」と怒られてしまいました。
後から知ったのですが、じつはその見とれた飛行機は、釜石への攻撃を終えて帰還する敵軍の飛行機だったのです。夕焼けと思ったのは、釜石が艦砲射撃を受けて燃えている赤い色でした。
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昭和20年、太平洋戦争は末期を迎えていました。
製鉄所が攻撃目標となり、釜石はアメリカ海軍や合同部隊の戦艦部隊によって、二度にわたる艦砲射撃を受けたのでした。
若き頃の園長先生は、実家の親たちがどうなったかまったくわからず心配していると、大槌から仙人峠を越えて、お母さんが遠野まで会いにきてくれたのでした。その後、焼け野原になった釜石を見たのです。
「じつはその艦砲射撃を受けた後の釜石の風景よりも、今回の津波の被害の方が、大きいような気がします。艦砲射撃のあとは今より家がまだ残ってい たような気がします。今回は何一つ残ってないんだもの……何ひとつ……」
比べられるものではありません。しかし、無残な戦争のつめ跡よりも、この津波による被害のほうが、さらにおぞましい景色が広がっていたと仰られました。
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この津波を体験して。園長先生は、お話を続けました。
「じつは私の友人が、今回の津波で無事かどうか確認するのが怖くて、まだ確認しに行っていません。親戚の子供が幼稚園に遊びに来ても、” おうちの人は?” と気軽に聞けないのです」
津波後、「○○ちゃんは?」とある子に聞いたら、「死んだ」と答えました。
「子供はたんたんと答えて、ゲームをしたりと遊んでいますが、相当傷ついていると思う……。こんなことになるなら先に死んだお友達のところに行ったほうが楽だったのかな……」と、先生の目から涙がぽろりと落ちていきました。
そうこうするうち、先生はお昼を食べる間もなく、ガスレンジの交換や大掃除と忙しそうにまたお仕事を始めました。
………………
ご家族を失った方、ご友人を失った方。
今回の震災によって数え切れないほどたくさんの方が傷つき、
悲しみを心の中に抱えています。
それでも笑顔を見せながら、前へ前へと進んでいます。
みんな、必死で前へ進むことで、悲しみや苦しさを払拭しているのかもしれません。
いつも明るく笑顔で私たちを迎えてくれる先生方。
津波による被害から園舎を復活させ、奇跡をご自身で感じながらも
自分ではどうしようもない内に秘めた悲しみが込み上げてきて
ふと涙があふれてしまうのです。

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5/12 おさなご幼稚園へ ミシンと優しいマッサージ

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大槌町桜木町にある被災した「おさなご幼稚園」へミシンをお届け。
「うっそ〜」と口に手をあてて驚かれた先生方。
園長先生は涙を浮かべて喜んでくれました。
「ミシンがあったら子どもたちのものも、保育園のものも手作りできる」
信じられない、ありがとうと何度もお礼を仰られました。
ミシンを送って頂いた皆さん、ありがとうございました。
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助産師のマイコさんが行うのは、ドイツ発の「アインラインブング」という優しいマッサージ。幼稚園の先生方は「ぜひ受けてみたい」と興味をもって、事務室にある大机をわざわざ移動してスペースを作ってくれました。このマッサージはとても柔らかく優しいもので、今日はラベンダーのオイルで手と足をごくやさしくもんでいきます。
「ラベンダーの香り、いい香り」「気持ちいい、温かい、寝ちゃいそう」など気に入って頂けたようです。「冷え性なんです」と言っていた先生は、終わると「足が温かい!」と笑顔を見せてくれました。
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子供たちが帰ってから、先生方お2人には手と足のアインラインブングを覚えてもらいました。とても簡単な動きです。
「落ち着かない子や不安そうな子、夜眠れない子に、足のアインラインブングはとても効果があります。先生達からお子さんのお母さんたちに教えてもらえたら。そしてお母さんが自分のお子さんに夜寝る前にやってあげられるといいなと思います」とマイコさん。ラベンダーオイルを1本、差し上げてきました。

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